福永寺について

寺号を「福永寺」、山号を「海中山」、院号は明星院・・・・・
黄金の身体に七宝荘厳の甲冑を着け、右手に鉾を持ち左手に宝塔を勇ましい毘沙門天は福永寺の御本尊です。
御本尊、毘沙門天王は天長元年十月五日(平安時代・八二四年)の暁に、当時の福永寺の裏は海岸であった、その波打ち際より出現したと記録に残っています。
福永寺境内を中心に二万坪の一帯は縄文時代の中妻貝塚となっています。その土中に貝殻が真白になって眠っています。歴史は深さを漂わせます。
今日も四季の野草が可憐に咲き、小鳥たちが集まる、清らかな寺院として、現在にいたっています。


御本尊

毘沙門天 仏教を守護する四天王の一人として、多聞天とも呼ばれております。 東の持国天、西の広目天、南の増長天、そして北の多聞天として北方の守護を担っております。 また戦国武将として有名な上杉謙信が厚く信仰していたことは、広く知られており「戦勝利益」が得られるとされています。

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